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実業家の考え方

化粧品業界を牽引する会社の創業者3選

先日、このブログにてCHANELの創業者ガブリエル・シャネル氏を紹介させていただきました。化粧品業界は魅力的な創業者の方が他にも多くいるので、今回は日本企業から3人をピックアップして紹介させていただきます。

取り上げる企業も知名度は高く、ご存知出ない方を探すほうが難しいかもしれません。そして共通してすごいのは、どこも長寿企業です。中小企業庁のデータでは、創業してから5年経過すると、約20%の企業が廃業に追い込まれています。当たり前ですが、景気や社会情勢が目まぐるしく変化していく中で、業績を上げ続けることは至難です。

今回は50年以上続く会社を創業した実業家の方を3名紹介させていただきます。

福原有信氏(株式会社 資生堂の創業者)

まずは日本の化粧品業界の雄、株式会社資生堂の創業者である福原有信氏です。福原有信氏は1848年に千葉県館山市で生まれました。祖父が漢方医だったことも影響して、17歳の時に西洋薬学を学びます。そして、23歳の時に海軍病院の薬局長に就任しました。

その後、1872年(明治5年)に東京都中央区銀座に日本初の洋風調剤薬局を創設しました。それが資生堂です。資生堂の社名は、中国の古典である四書五経の易経に由来します。『至哉坤元(いたれるかなこんげん) 万物資生(ばんぶつとりてしょうず)』の「資生」を引用しています。この言葉は、「大地の徳はなんと素晴らしいものであろうか。すべてのものはここから生まれる。」という意味です。
資生堂は、日本初の商品を多く販売しています。調べて知ったとき、私にとっては意外なものが多かったので驚きました。1888年には、練り歯磨き粉が販売されます。ソーダ水とアイスクリームの製造販売を日本で最初に行ったのも資生堂です。

長瀬富郎氏(花王 株式会社の創業者)

次は、日本の化粧品業界で資生堂と並んで年間の売上高が1兆円を超える花王株式会社の創業者である長瀬富郎氏です。花王株式会社は日用品の販売のイメージが強いので意外かもしれませんが、美容液や化粧水、乳液などの製品を取り扱っています。

長瀬富郎氏は、1863年に岐阜県中津川市で生まれました。12歳には丁稚奉公に出て、商売を学んでいます。24歳となる1887年に花王株式会社の前身となる長瀬商店を創業します。当時は化粧品は取り扱っておらず、主力商品は石鹸などの日用品でした。良質な国産の石鹸をつくること目標に努力を重ね、花王石鹸が誕生します。「花王」の名前は、当時の化粧石鹸が「顔洗い」と呼ばれていたため、その音から名づけられました。

小林孝三郎氏(株式会社 コーセーの創業者)

最後は、国内化粧品市場のメーカーシェア(2019年)で第3位となる株式会社コーセーの創業者である小林孝三郎氏です。小林孝三郎氏は、1897年(明治30年)6月29日に茨城県坂東市で生まれました。幼少期までは茨城県で過ごしましたが、小学校は千葉県我孫子市にあった我孫子尋常高等小学校に通いました。16歳の時に化粧品製造メーカーに就職します。その後、35年間同社で勤務します。戦争に敗戦した翌年の昭和21年に東京都北区にて株式会社コーセーの前身となる小林合名会社を設立します。

そこから業績を伸ばしていき、1971年(昭和46年)にはシンガポールへ進出します。翌年にマレーシア、1984年(昭和59年)にはタイランド、台湾と次々に海外へ販路を広げています。
現在の株式会社コーセーに商号を変更したのは、1991年(平成3年)です。2010年代も海外への進出が多い時期で、2013年(平成25年)にインド、翌年にインドネシアとアメリカ合衆国、2016年(平成28年)にはブラジルに会社を設立しています。海外の売上高は右肩上がりで、売上高の比率は、2021年3月から2021年12月までの実績で49.3%にまで上昇しています。

最後に

今回取り上げさせていただいた3人の実業家の方々は、理念を大切にしていると感じました。戦争の敗戦などの逆境を乗り越えていくためには、確固たる志が必要だと思います。後、比較的景気に左右されにくい日用品を取り扱っていたことも会社が長く繁栄し続けられた要因でもあると思います。私も顧客から愛され続けられるような製品・サービスを提供できるよう精進していきます。