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実業家の考え方

映画レビュー、ガブリエル・シャネル氏の半生を描いた『ココ・アヴァン・シャネル』

出典: FASSION PRESS

※このブログはネタバレを含みます

皆さんは、好きなファッションブランドはありますか。
ブランドイメージやコンセプト、価格など多種多様なブランドが存在します。その中でも、CHANELがお気に入りで愛用している方も多いのではないでしょうか。ガブリエル・シャネル氏が生きていた時代は、男性が優位に立っていることも多かったと思います。そういう状況でも、自立して生き抜いた姿はとても魅力的です。今回は、ガブリエル・シャネル氏の半生を描いた映画『ココ・アヴァン・シャネル』を紹介します。

元々は孤児でいろいろと苦労したところから昇りつめて、世界に名をとどろかせるハイブランドを作り上げました。他人に批判されようと異端であることを恐れず、自分の信じた道を歩めることはすごいと思います。生涯結婚はせず、仕事をし続けてきたそうです。自立している女性だからこと、多くの女性を魅了する商品を世に提供できるのだと学びました。

孤児院で育つ

ガブリエル・シャネル氏は、姉と一緒に孤児院での生活を強いられます。映画の中でも、ガブリエル・シャネル氏の結婚観は多く取り上げられていて、ご両親の影響が大きいです。
ガブリエル・シャネル氏の母は夫を愛しすぎたため、夫が浮気をして朝方まで家に帰らなくても我慢していたそうです。母が他界したした後、伯母の家に行くことになるのですが、そこでは暴力を振るわれることがありました。そのため、孤児院へ行くこととなります。それからガブリエル・シャネル氏は、毎週日曜日、父親が孤児院に来ることを待ち続けました。

幼少期の経験があったから、ガブリエル・シャネル氏は女性は自立するべきだと考えたはずです。つらい経験ですが、それをバネに成功を収めていることはすごいと思います。

CHANEL

1910年にフランスの首都パリにあるカンボン通りの21番地に帽子店「シャネル モード」が開店しました。その後、1912年にフランスのカルヴァドス県にあるドーヴィルにブティックをオープンさせます。ドーヴィルは、パリから行ける港町で高級リゾート地です。

ドーヴィルは元々小さな漁村でしたが、高級住宅やブティック、競馬場やカジノが建設されて高級リゾート地へと整備されました。海辺や競馬場は映画でも登場しますが、ガブリエル・シャネル氏の恋人であるアーサー・ボーイ・カペル氏が身に着けていた男性用肌着のジャージーに惹かれ、ジャージーを用いてスポーツウェアを販売しました。

その後もカンボン通りの31番地にブティックをオープンさせるなど、順調に業績を挙げていきます。そして、1921年にロングセラーで今もなお愛され続けている香水『CHANEL N°5』が販売されます。化粧品がラインナップに登場したのは、3年後の1924年です。
創業して14年で、今も販売される主力商品が次々と登場しています。

ココの言葉

ガブリエル・シャネル氏は、映画を大事にしていました。
後に、マリリン・モンロー氏がCHANELを愛用していたため、アメリカ合衆国で大きな業績をあげることに成功しました。ファッションを浸透させるために、映画の力が必要だと見抜く先見の明があったからでした。
映画でも多く登場しますが、ガブリエル・シャネル氏はよく本を読みます。先の未来を見通す力は本や交流あったアーティストを通じて培ったものだと思います。

私も多くの本に触れ、さまざまな業界の方と出会って見識を広げていきます。