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実業家の考え方

壮大なビジョンを描き、外食業界トップの座をつかんだ小川賢太郎氏の半生

2020年に発行された「世界の食糧安全保障と栄養の現状」によると、飢餓に苦しむ人々の数は約6億9,000万人にのぼると報告されています。飢餓は地球規模の問題であり、早急な解決が求められる重要な問題です。この解決をビジョンにしているのが、今回紹介する小川 賢太郎氏です。
小川 賢太郎氏は、1982年6月に株式会社ゼンショーホールディングスの前身となる会社を神奈川県横浜市に設立します。弁当屋から始まり、牛丼店も展開して、そこから業績を上げていきます。

外食と飢餓、と言われると一見何の関係もないように思えます。ただ、小川賢太郎氏は大きなビジョンを描き、それに繋がる目標を1つ1つ達成してきました。
目的からくる行動を愚直にこなしていくことの大事さを学びました。

学生時代からも行動を起こしている小川 賢太郎氏の経歴

小川 賢太郎氏は1948年7月29日に石川県で生まれます。そして、20年後の1968年に東京大学に入学しました。小川 賢太郎氏は当時から活動的で、全学共闘会議による学園紛争に参加します。学園紛争が終結した後で、東京大学を中退して横浜港で働きだします。

港湾で働いた経験があったからこそ、82年の会社設立が横浜になったのだと思います。
その他にも、当時の中国やベトナムの社会情勢も小川 賢太郎氏の影響を与えています。社会主義の限界を感じて、労働者組合のトップになっています。社会情勢に敏感で感じたことを即行動に移していることは素晴らしいと思いました。

今も成長し続ける株式会社ゼンショーホールディングスについて

上述のとおり、株式会社ゼンショーホールディングスは1982年6月に設立されます。そこから、約40年で日本の外食業界のトップに立ちます。2011年に業績で1位になってから1度もその座を明け渡していません。創業当時は、4人で資本金500万円のところからスタートしています。それが、2021年3月末時点で約270億円まで増えています。連結の売上高は、5,950億円になります。

株式会社ゼンショーホールディングスの傘下にある牛丼チェーンすき家で、深夜のワンオペが大きな話題になりました。ブラック企業というレッテルをはられるなど逆境があった中、ここまで業績を上げ続けるのはすごいと感じています。

ビジョンが大きいからこそ、チャレンジし続けられる!

小川賢太郎氏は、社会情勢に対しすごく敏感な方だと感じます。起こっている事象から未来を予見して、描いた未来に対して、即行動しています。しっかりとした理念を持って、実践し続けている方だとも感じました。私も大きなビジョンを描いて、理念をもって仕事をして成果をあげていきます。