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実業家の考え方

業界を問わず、日本に多大な功績を残した稲盛和夫氏

今回は、2022年8月24日に永眠された稲盛和夫氏についてです。稲盛和夫氏は、私が改めて紹介するまでもないくらい数々の実績をあげてこられた稀代の経営者です。だからこそ、これまでの歩みを振り返らせていただきました。そこで学んだことや感じたことをシェアさせていただきます。

直接会わせていただいたことはありませんが、愛情深さと仕事に対する真摯な姿勢が伝わってきました。志高く、利他の精神で経営をされたからこそ、多くのことを成し遂げられたのだと思います。

能力ももちろん大事です。それと同時に、人生観や仕事に対する哲学など内面に関わる部分も大切にして、私も成果を出していきます。

経営の神様、稲盛和夫氏の足跡をたどる

稲盛和夫氏は、1932年に鹿児島市で生まれました。大学も出身地にある鹿児島大学工学部に入学します。卒業後は、京都府長岡京市にある松風工業(現在は、株式会社松風)に入社しました。当時は高圧碍子を扱う企業でした。現在は、歯科材料と歯科用機器の製造・販売を行っています。松風工業の創業者は、清水焼窯元の三代目である松風嘉定(しょうふうかじょう)氏です。私も調べるまで馴染みがなかったので「碍子(がいし)」について説明させていただきます。碍子は「電気を絶縁し、電線を支えるための器具」です。電柱や電車の屋根の部分にある白いそろばんのようなもの、というとイメージ出来るかもしれません。

その後、1959年4月に資本金300万円で京都セラミック株式会社(現在は、京セラ)を設立しました。従業員は28名で工場を併設したファインセラミックスのメーカーです。ファインセラミックは、「精選または合成された原料粉末を用いて、精密に調整された化学組成」と「十分に制御された製造プロセス」によってつくられた高精密なセラミックスです。ざっくりいうと、セラミックを機械的、電気的などさまざまな観点から高機能にしたものとなります。

1984年、電気通信事業が自由化したことをきっかけに、第二電電企画株式会社(DDI)を設立します。そして、国内の長距離電話の低料金化や移動体通信事業を立ち上げるなど、さまざまな実績を残します。その後、2000年10月にDDIと国際電信電話株式会社(KDD)と日本移動通信株式会社(IDO)を合併させます。それが現在のKDDI株式会社です。

2010年2月、政府の要請を受けて日本航空株式会社(JAL)の再建に着手します。とはいえ、稲盛和夫氏には航空業界の経験があったわけではありません。それでも、2010年1月に2兆3,000億円という巨額の負債を抱えて経営破綻した会社の再建のために力をかします。
その理由として、稲盛和夫氏は3つの大義があったと語っています。

  1. 残された3万2千人の従業員の雇用を守る
  2. 日本経済全体への悪影響を食い止めることができる
  3. ANAとの正しい競争環境を維持して、国民の利便性を図る

JALの会長に就任して、まず感じたのは旧経営陣の意識の低さです。公共事業という意識が強く、どんぶり勘定で赤字路線も維持していかないといけないと考えていました。運航や生産などの各部門が独立していて、横のつながりがあまりありませんでした。そのため、まずはJALのコスト意識を変えます。ポイントとなるのが部門別採算とアメーバ経営です。アメーバ経営については、私自身もより勉強したいので、学んだことをいずれこのブログにアップする予定です。
上記以外にもさまざまな改革を行った結果、2兆3,000億円あった赤字が解消してV時回復します。2013年3月期 第2四半期のグループ連結売上高は6,342億円で、営業利益 1,121億円と経常利益 1,110億円です。

最後に

利他の精神、フィロソフィーが大事ということを改めて学ばせていただきました。京セラ創業当時は、社員の方々と血判状をつくったというエピソードもあります。経営者になりたてのときも晩年も常に人の心を大事にした経営をされています。私も人間として精神を成長させることにも重点を置きながら、今の仕事に真摯に向き合って成果を出していきます。