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実業家の考え方

様々な分野の事業で成功し続ける経営のプロ、新浪剛史氏

皆様はこの夏はどのように過ごされましたか。
3年ぶりに行動規制がなくなり、地元へ帰省された方も多いのではないでしょうか。また、夏ということでお酒を飲む機会も増えるかと思います。暑い季節だからこそ、キンキンに冷えたビールを飲みたくなる方も多いでしょう。
ということで、今回はビールを販売する会社に焦点を当てます。ビールを取り扱う会社はいくつかありますが、今回取り上げるのはサントリーホールディングス株式会社の新浪剛史氏です。

新浪剛史氏の経歴

新浪剛史氏は、1959年1月生まれです。大学は慶応義塾大学に入学しています。実は、サントリーホールディングス株式会社の2代目社長である佐治敬三氏のご子息で、4代目社長である佐治信忠氏も慶応義塾大学出身です。ただ、佐治信忠氏は1945年生まれのため、学生時代に交流があったわけではありません。

大学卒業後は、三菱商事株式会社に入社します。そして、社会人になってからアメリカ合衆国に留学して、ハーバード・ビジネス・スクールを修了、MBAを取得します。その後、2002年5月に株式会社ローソンの代表取締役社長執行役員CEOに就任しました。40代で大手企業のCEOに就任したことは、当時大きな話題になったそうです。新浪剛史氏が株式会社ローソンの社長に就任するきっかけは、三菱商事株式会社に勤めていた2000年1月に、株式会社ダイエーから株を取得して、三菱商事株式会社が筆頭株主になりました。新浪剛史氏は、交渉役となり、見事に成功しました。その実績をかわれ、株式会社ローソンの社長になります。と同時に、三菱商事株式会社も退社しました。退路を断つためです。インタビューでは、ローソンの人間として頑張っていくと語っていました。

新浪剛史氏は、株式会社ローソンで実績をあげていきます。「おにぎり屋」というブランドの立ち上げには、新浪剛史氏が関わっています。社内横断型のプロジェクトで、商品部でない社員も参画していました。より顧客に近い存在からの意見を取り入れながら、改良を繰り返した結果、今でも続いているロングセラー商品となりました。

サントリーホールディングス株式会社の代表取締役社長に就任したのは、2014年です。次は、サントリーホールディングス株式会社について紹介します。

サントリーホールディングス株式会社の歴史

サントリーホールディングス株式会社の歴史は古く、創業は1世紀以上前の1899年です。創業者である鳥井信治郎氏が20歳の時に鳥井商店を開業します。鳥井信治郎氏は、13歳の時に大阪の船場にて丁稚奉公します。

大阪・船場の歴史は、豊臣秀吉の時代まで遡ります。大阪城築城、城下町の開発をおこなっている際に、商人の移転先として船場が誕生しました。その後、江戸時代になっても船場は商都として栄えます。船場は物流の拠点となり、人や情報が集積されるようになりました。

鳥井信治郎氏は、商人の街・船場で商売を叩き込まれます。そして「日本人の味覚に合った洋酒をつくり、日本の洋酒文化を切り拓きたい」というビジョンを掲げて、日本初の国産ウィスキーの開発に乗り出しました。作家の伊集院静氏が、鳥井信治郎氏の夢の実現を小説にしています。『琥珀の夢』という著書です。評判の高い本で、2018年にはテレビ東京でドラマ化されました。私も読んでみましたら、こちらのブログにて、レビューさせていただきます。

そして1961年になると、2代目社長に佐治敬三氏が就任します。佐治敬三氏は、葡萄酒やウィスキーの製造・販売だけでは満足せず、新たな分野へチャレンジします。それが、ビールです。ビール業界はキリンホールディングス株式会社がトップに君臨し、アサヒグループホールディングス株式会社がそれに追いつく。そして、その争いにサントリーホールディングス株式会社が割って入っていきます。『ザ・プレミアム・モルツ』の好調な業績が大きな要因の1つです。『ザ・プレミアム・モルツ』は、日本で初めて「モンドセレクション」ビール部門で最高金賞を受賞しました。サントリーホールディングス株式会社は現在、酒税控除後の売上収益が2兆2,857億円(2021年)になる会社へと成長しました。

最後に

新浪剛史氏が社長に就任してから8年経ちますが、ここ5年は安定して営業利益で2,000億円以上を稼ぎ出しています。新浪剛史氏の仕事・経営に対する理念とサントリーホールディングス株式会社の「やってみなはれ」の精神が合っていたことも大きな要因だと思います。

私も「やってみなはれ」の精神を見習って、積極的に行動して仕事で成果を出し続けていきます。