皆さんは、夏も近づく八十八夜という歌をご存じでしょうか。
タイトルを聞かれてもピンとこないかもしれませんが、歌自体は小学校などで聴いたことがあると思います。歌詞は茶摘みを表現したもので、時期は5月初旬になります。
今回は、茶葉の生産量が日本一の静岡県の実業家を紹介します。静岡県にある浜松市は『ものづくりのまち』を掲げているだけあり、製造業の会社が多く存在します。もちろん、静岡県出身の実業家は製造業だけでなく、さまざまな分野の方が存在します。
本田宗一郎氏(HONDA創業者)
まずは『ものづくりのまち』を代表する企業、HONDAの創業者である本田宗一郎氏です。本田宗一郎氏については、このブログで取り上げていますのでお時間がありましたら、ご一読ください。
本田宗一郎氏は、1906年11月17日に静岡県浜松市天竜区(旧・磐田郡光明村)で生まれました。父親は鍛冶職人で、母親ははた織りで、どちらもものづくりにかかわっていました。本田宗一郎氏の厳密さやものづくりにかける情熱などは、ご両親から影響をうけた部分も大きいと思います。
森和夫氏(東洋水産株式会社創業者)
次もこのブログで取り上げたことのある実業家で、カップ焼きそばを商品とする会社の記事で紹介した森和夫氏です。森和夫氏は、「マルちゃん」でおなじみの東洋水産株式会社の創業者です。「マルちゃん」のイメージが浸透しているのでインスタント麺のほうがなじみ深いかもしれません。冷凍魚介類の仕入れ・加工・販売など、水産業も営んでいます。
森和夫氏は、1916年4月1日に静岡県賀茂郡西伊豆町(旧・田子村)で生まれました。その後、東京水産大学を卒業しました。そして、1953年に東洋水産株式会社の前身となる横須賀水産株式会社を創業します。
森和夫氏は「企業は公器なり」ということを大事にしていました。その想いがあってか、1975年には東洋水産財団も設立し、未来ある研究に対して学術奨励金を贈呈しています。
森和夫氏の真摯な姿勢は多くの方を魅了し、小説化されました。高杉良氏が執筆した『燃ゆるとき』です。2005年に発効された本作品は好評で、翌年には映画化されています。
後藤磯吉(はごろもフーズ株式会社)
食品つながりであげると、シーチキンの缶詰でおなじみのはごろもフーズ株式会社の創業者である後藤磯吉氏も静岡県出身です。1931年5月、はごろも株式会社の前身となる会社「後藤缶詰所」を創業しました。その後、1958年に「シーチキン」を商標登録しました。シーチキンといっても商品によって、中に入っている魚の種類は異なります。代表的なものは、キハダマグロとかつおです。
後藤磯吉氏は、1919年3月30日に兵庫県神戸市で生まれました。日本郵政公社に入社後、戦争を経験して、戻ってきて後藤缶詰所を設立しました。後藤磯吉氏は、その後の功績を評価され、静岡県静岡市の名誉市民の称号を与えられました。
魅力的な実業家の方は、他にもいます!
静岡県出身の実業家の方は、まだまだいます。
「ものづくりのまち」と紹介させていただきましたが、製造業でいうと河合楽器製作所の創業者である河合小市氏も静岡県出身です1886年1月5日に静岡県浜松市中区菅原町(旧・浜松宿菅原町)にてうまれました。
今までとは別ジャンルでいうと、BSフジ代表取締役社長兼プロデューサーをつとめる亀山千広氏も静岡県出身です。『あすなろ白書』『ロングバケーション』『ビーチボーイズ』などのドラマは、亀山千広氏がプロデューサーとして手掛けたものです。亀山千広氏は、1965年6月15日に静岡県三島市で生まれました。映画好きがきっかけで今の職に就いたと語っています。
今回は土地柄やご両親の影響を受けて実業家になった方も多いです。もちろん、私のピックアップ次第ではあるのですが、どういう環境であるかがすごく大事だと学びました。