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実業家の考え方

年越しといえば、そば!そばチェーンに携わる実業家2選

2023年も残りわずかとなりました。本年もこのブログを読んでいただき、ありがとうございます。ということで今回のテーマは、年越しにちなんでそばチェーンに携わる実業家です。恐縮ですが、このブログで調べるまで行ったことのないチェーン店も多々ありました。2024年はそういったお店にも食事に行って、創業者の方の想いに触れたいと思います。

今回は2名のみの紹介ですが、もちろん他のチェーンの運営会社を創業された方々も素敵な人ばかりです。機会がありましたら、別のタイミングで紹介させていただきます。

作詞家でもある名代富士そばの創業者、丹道夫

まずは、名代富士そばの創業者である丹道夫氏を紹介させていただきます。名代富士そばは、ダイタンフード株式会社が運営しています。丹道夫氏は、その会長です。

創業は1972年3月9日で、埼玉県川口市に出店しました。ただ、当初はそば屋ではなく弁当屋でした。立ち食いそばの事業を始めたのは1966年です。その際はまだ「名代富士そば」ではなく、「そば清」という名前でした。運営会社のダイタンフード株式会社の設立は、6年後の1972年です。このタイミングで、業態を「そば」に絞ります。また、24時間営業も始まりました。コンビニエンスストアも同時期に24時間営業を開始しています。セブン-イレブン・ジャパンが24時間営業を始めたのは、1975年です。福島県郡山市の虎丸店が第1号となりました。

最後に、作詞家の側面についても紹介します。作詞家に向けて本格的に勉強を始めたのは、丹道夫氏が55歳の時です。店舗数が50に達したのを契機に、六本木の学校に通い始めました。1997年にプロデビューしていて、累計で30曲以上の楽曲を提供しています。自分の夢や目標を年齢関係なく実現する姿は、すばらしいなと思いました。

フランチャイズ化して成功したゆで太郎の立役者、池田智昭

次に紹介させていただくのは、ゆで太郎の創業者である池田智昭氏です。池田智昭氏は、幼少のころから蕎麦屋を営みたかったわけではありません。元々は、教師を目指していました。教育実習まで履修しますが、しっくりきませんでした。そこで、飲食の道を志すことになります。当初は、ファミリーレストランに就職しました。

そこから転機が訪れます。先輩がきっかけで、弁当販売を行う「ほっかほっか亭」のフランチャイズオーナーになりました。先輩との共同経営です。弁当の美味しさはもちろんですが、当時70円で販売されていた味噌汁の品質の高さに感動して、経営参画を決めました。事業は拡張し、5店舗出店するまでに至ります。

1978年、ほっかほっか亭は「地域フランチャイズ化」という施策を講じます。ざっくりいうと、東部・関西・九州の3つに地域をわけ、それぞれを別の会社が店舗運営するという形式になりました。このことにより、ロイヤリティなどの方針が変わってしまったため、池田智昭氏は、店舗経営から撤退します。本部からのスカウトがあり、FCオーナーからスーパーバイザーへと転身します。池田智昭氏にとって、スーパーバイザーは転職でした。

スーパーバイザーとして40店舗以上の業績拡大に関わりました。そんな中、ゆで太郎の創業者である水信春夫氏と出会います。水信春夫氏は、ご本人の夢だった蕎麦屋を経営していました。実は、水信春夫氏もほっかほっか亭のオーナーだった経験があります。しかも、事業展開をして4店舗も開業したオーナーです。ゆで太郎をフランチャイズ化するのは、そこから、しばらくたった後になります。ほっかほっか亭の話やゆで太郎の話は、また別途掘り下げてみようと思います。

最後に

どちらの方も、固定的で魅力のある方でした。改めて、大きな志や目的・目標を掲げて努力し続けることの大事さを学ばせていただきました。2024年も、自分が成し遂げたいことに対して効果的なことを実践し続けます。本年もこのブログを読んでいただき、ありがとうございました。