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調査

CMやコラムで話題のJFEについて調べてみた

もう少しでゴールデンウィークとなりますが、ご予定などはお決まりでしょうか。テレビや雑誌などで情報収集して、これから決めようという方もいらっしゃると思います。そのテレビCMやYouTubeの広告で、最近目にする印象がある会社がJFEです。お恥ずかしながら、つい最近まではJFEのことを把握していませんでした。読売新聞のコラムでも取り上げられるなど、メディアへの露出が増えてきたので、気になり始めていたのは確かです。同じような方もいるのではないかと思ったので、私が調べたことを共有します。

今回はこのブログのコンセプトにあわせて、合併前の会社の創業者である川崎製鉄の川崎正蔵さんと日本鋼管(NKK)の白石元治郎さんについて紹介いたします。

日本の造船業の歴史をつくった川崎正蔵さん

国土交通省の情報によると、大型船舶の製造が解禁されたのは幕末期です。当初は小型和船でしたが、明治維新後に造船所が建設されます。造船会社が設立されたのは、1876年以降です。川崎製鉄の前身である川崎築地造船所は、1878年に創設されました。川崎正蔵さんが41歳の時です。

川崎正蔵さんは、1837年8月10日に生まれです。鹿児島県出身の方で、実家は呉服屋を営んでいました。17歳の時に、長崎県に出て貿易商を学びます。その経験が認められ、大蔵省(旧財務省)から、琉球糖や航路の調査を依頼されました。その後、日本国郵便蒸気船会社の副頭取に任命され、航路の開設と砂糖の輸送を実現させます。そして、上述の川崎築地造船所の設立に至ります。

日本初のパイプ専門会社を設立した白石元治郎さん

次に紹介させていただくのは、日本鋼管を創業した白石元治郎さんです。白石元治郎さんは、1867年8月に福井県で生まれました。帝国大学法科大学(旧東京大学法学部)を卒業後に浅野商店に入社します。最初は石油部門に配属されますが、浅野系列の汽船会社に転じることになりました。そこでの出会いがきっかけとなり、日本初の民営製鉄会社の創設に尽力します。そして、上述の日本鋼管株式会社が1912年6月に誕生しました。初代社長は、白石元治郎さんです。その後、1916年に造船所を設立しました。

そこから半世紀以上の時間が経過した2000年4月に、工場の効率化などを目的とした統合を話し合うことになります。基本合意に至ったのは、その5ヵ月後の9月です。

最後に

「サス鉄ナブル!」というキャッチコピーでメディアへの露出を増やしたのは、2022年12月からです。自分とは何者かを効果的に発信していくことの大事さを改めて学びました。

どちらも老舗企業で培われてきた根強い文化があるため、統合は大変だったと思います。業界の発展や会社と社員を守るために、それを実現させたのはすごいです。私の過去積み上げてきたものにとらわれず、様々な分野で活躍されている方とコラボレートして、仕事でより大きな成果をあげていきます。